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平成26年度 JATA×JWTC第4回セミナー
「女性リーダーの育成が旅行業を変える」

日 時
2014年7月3日(木)19:00〜20:00
場 所
JATA4階研修室
講 師
株式会社カーニバル・ジャパン代表取締役 木島榮子氏
(JATA運営役員、旅行業経営委員会・副委員長)
参加人数
72名

1980年、旅行業界で活躍する女性の仲間たちで立ち上げたのが、日本旅行業女性の会JWTCです。その5代会長を務めました。当時から女性は活躍こそしていましたが、表立つことはありませんでした。男性には横断的な組織があるのに、女性にはなかったのです。
80年代後半は、女性の地位向上や労働条件など法整備の黎明期でした。女性の社会進出に気運が高まるなか、男女雇用機会均等法(1986年)が施行され、あれから約30年。ですが欧米諸国に比べると、日本は未だ遅れています。安部首相が女性管理職比率3割を掲げていますが、JWTCではすでに30年前から、こうした主旨で活動を続けてきました。
旅行業界は、6割を女性社員が占める職場です。異業種に比べ、女性の活躍の場がもっと広がると信じています。
今回は、私のこれまでの49年という仕事歴から、「なぜ、今の私があるのか」を知っていただければとおもいます。振り返りますと、株式会社リクルートの代表取締役社長を務めた河野栄子さんが、かつてインタビューで「いつのまにか、今の立場になってしまった」と答えておられましたが、まさに私も今、同じ想いにあります。

大学卒業後に、縁あってニュー・オリエント・エキスプレス株式会社(現在の株式会社エヌオーイー。NOE)に就職をしました。女性の多くは1、2年で寿退社する時代、「3年間、辞めません」という旨の誓約書を書くことを条件に、入社が許されました。
当時感銘を受けた1冊に、フランスの女流作家で哲学者サルトルのパートナーだったシモーヌ・ド・ボーヴォワールの「第二の性」があります。「On ne nait pas femme:on le devient.(人は女に生まれるのではない、女になるのだ)」。女性らしさとは、社会的につくられた約束ごとに過ぎない、女性という枠にはめられて後天的に性を与えられてきたという、目が覚めるような内容でした。
海外渡航が自由化されたばかりで渡航手続きは煩雑でした。ただ、コツコツこなすうち取引先からの信頼も得て、自信がつきました。そして入社4年目にチャンスが訪れます。フィリピン航空の招待旅行に、女性社員として初めて参加したのです。課長職となってからは豪州などへの添乗も手がけ、クルーズとの最初の出会いがありました。

役職を得ると、男性からのやっかみが絶えませんでした。そのうち株式会社ヴィーヴル(西武百貨店旅行事業部と統合。現在の株式会社PTS)から誘われ、転職をします。やがて海外の旅行見本市に参加する機会を得ました。日本からの参加者は男性ばかりですが、欧米は女性が大半でした。
ヴィーヴルでは、プリンセス・クルーズなどの客船会社とGSA(日本総代理店)契約を結び、別会社を造りました。その後、当時のホールセーラー大手・株式会社ジェットツアーの100%子会社であるクルーズ専門会社の総支配人に招かれ、本格的に船の道へと進んだわけです。
1998年、ジェットツアーが倒産の憂き目のとき、わずか1日の綱渡りで独立をすることになりました。劇的な経験でした。独立後、一度も赤字を出すことなく順調にやってこられた理由は、ある意味、女性特有の“大きな冒険をしない”ことにもあったのかもしれません。
2年前、プリンセス・クルーズから、日本市場を開拓したいと申し出がありました。この四半世紀の実績が買われ、社員や今までのノウハウを「カーニバル・ジャパン」として継承しつつも、経営を米国の会社に委ねたのです。自身の、日本市場にクルーズを浸透・拡大したいという願いが、今につながっています。
女性の皆さんには、1歩、前を見てほしいとおもいます。3歩も5歩も先をみると失敗することも。しっかりと、身の丈をみるのが私のポリシーです。チャンスが与えられたら、積極的に受けて欲しいとおもっています。

観光ジャーナリスト 千葉千枝子氏採録

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