現在地:JATAホーム > 会員・旅行業のみなさまへ > 国内旅行情報 > 提言:「更なる国内旅行にむけて」 > 資料編

資料編

【現地ヒアリング報告】 別府

実施日 2003年6月24日

地元参加者
鶴田 浩一郎氏(オンパク実行委員長・ホテルニューツルタ代表取締役社長)
西田 友行氏 (旅館組合長・つるみ観光株式会社代表取締役社長)
深瀬 俊夫氏 (料飲組合長・株式会社窓代表取締役社長)
甲斐 賢一 氏 (鉄輪湯煙クラブ代表・ホテル風月ハモンド社長)
野上 泰夫 氏 (竹瓦倶楽部代表・べっぷ野上本館社長)
後藤 美鈴 氏 (鉄輪女会世話人・入舟荘女将・八湯豚まん本舗代表)
堀 清治 氏 (別府市旅館ホテル組合事務局長)
堀 景 氏 (別府市観光経済部観光課企画宣伝係主事)

※役職はヒアリング当時

成熟期→再生期

  • 昭和50年代にピークを迎えた「観光客数」はバブル期を経て、現在は年間1200万人弱となり100万人ほど減少している。それにも増して「宿泊客数」の減少が激しく、ピークに比べて200万人ほど減少しており、現在は温泉地として成熟期から再生期に差し掛かっているといえる。
  • かつての団体客と歓楽街というイメージから脱却すべく、現在では別府八湯関係者による「まち歩きプログラム」など文化歴史と温泉をテーマに、個人客を増やす取組みが始まっている。もちろん行政のバックアップも欠かせない。
  • 「別府八湯メーリングリスト」が大きな役割を果たしている。関係者だけではなく一般の人も参加して運営されており、互いに何を考えているのかよく分かるようになった。その中から様々なアイデアが生まれ、実行に移されている。
  • 別府八湯による「オンパク」の開催もメーリングリストから発信されたもので、地元住民と観光客の両者が楽しめる地域全体を巻き込んだユニークなイベントである。このような取組みを通して個人客の回帰を図り、別府の温泉文化再生を模索している。
  • このように温泉地としては様々な取組みを行い、再生への道筋をつけようと努力しているが、一方で開発されたそれらの素材が流通ラインに乗っていないという課題も同時に抱えている。このために宿泊客の増加には直接つながっていないのが現状である。

鉄輪温泉


  • <1>

    <2>

  • <3>

別府温泉


  • <4>

    <5>
  • <1><2>地獄蒸しは温泉蒸気で地の食材を蒸したシンプルな料理だが、個人客を中心に人気のある体験型の食である
  • <3>ファンゴ(温泉泥)を利用したエステなど、様々な体験プログラム(オンパク)を地域ぐるみで実施している
  • <4>まち歩きをしてもらうための裏路地の整備が進む
  • <5>伝統建築の竹瓦温泉が住民と行政により保存され、現在も実際に利用されている
  • これまで旅行会社は、観光地や温泉地の素材開発と流通という2つの側面を担ってきたが、これからは地元を熟知するサプライアーサイドに素材開発は全面的に任せ、旅行会社はいかにマーケットの個々人に対して訴えていけるかが問われる時代である。

<現地視察>

鉄輪温泉 地獄蒸し屋台
温泉から噴出する高温の蒸気を使って、地元の食材を蒸し上げる料理。従来は地元の人だけが利用していたものを、観光客にも利用できるようにした。(予約制)。
鉄輪温泉 鉄輪豚まん本舗
鉄輪の主婦たちが、地獄蒸しを利用して作る豚まん。現在では鉄輪の名物となり、地方からの発注も多い。
鉄輪湯けむり散歩
NPO法人鉄輪湯けむり倶楽部メンバーが、鉄輪地区の散策ツアーをガイドする。地獄のほか、鉄輪むし湯、旅乃宿サカエ家などをめぐる。
竹瓦かいわい路地裏散歩
ボランティアガイドの案内で、竹瓦界隈を散策する。
梅園温泉、松下金物店、友永パン屋、京町温泉、楠銀天街、ヒットパレードなどを訪ねる。

視察した観光資源は、いずれも地域の普段の生活を観光客のために取り出して、いわゆる観光名所でない別府の姿を見て、体験するプログラムとなっていることが特徴である。また、鉄輪、竹瓦いずれの散策においても、地元のボランティアガイドが案内し、説明することにより、それなしでは気づかずに通り過ぎてしまうような観光スポットを印象深いものにしている。
これ以外にも、視察の機会がなかった新たな観光資源として、以下のようなものが紹介された。

  • ファンゴ(温泉泥)エステ
  • 鉄輪地区の旅館をギャラリーとした工芸展
  • 温泉道
  • 別府アルテリッチ音楽祭

<旅行会社が対応可能なこと> 新たなソフト観光資源の「商品化」と流通・販売

昭和50年代に団体旅行を中心に栄華を誇った別府は、団体旅行の減少、歓楽的雰囲気の敬遠、九州内の他の観光地との競合などにより、その後衰退の道をたどった。しかし1990年代の後半から、別府の観光関係者と市民が別府再生に向けてさまざまな取り組みを開始し、別府に観光客が戻り始めた。

現在、別府がかかえる課題のひとつは、せっかく開発した新たな観光資源やプログラムに関する情報が、なかなか一般消費者に届かず、九州内からの日帰り客は増加しても、宿泊客の増加につながりにくいことである。

ここで開発されている新しい観光プログラムは、従来のマス・ツーリズム型の旅行企画・オペレーションには適応できないが、個人の旅行客にとっては、きわめて魅力的なものが多い。旅行会社にとって、このような観光資源をどのようにして商品化し、オペレーションに乗せていくかのノウハウを確立することは、他のデスティネーションにおける商品企画においても有効なものとなりうる。
また、別府では観光関連のNPOが設立され、さまざまな活動を展開しているが、こうした組織と連携しながら、DMC事業の設立も検討の余地がある。

【現地ヒアリング報告】 由布院

実施日 2003年6月25日

地元参加者
溝口 薫平 氏 (由布院玉の湯代表取締役社長)
小野 正文 氏 (ゆふいん山水館代表取締役会長)
秋永 祥冶 氏 (山のホテル夢想園取締役総支配人)
麻生 雅憲 氏 (株式会社翼代表取締役)
藤林 晃司 氏 (有限会社山荘無量塔代表取締役)
桑野 和泉 氏 (由布院玉の湯専務取締役)
米田 誠司 氏 (由布院観光総合事務所事務局長)

※役職はヒアリング当時

成熟期→再生期 由布院のまちづくり

由布院のまちづくりは住民の主導による住民のためのまちづくりが基本である。その発想はまちづくりの全ての部分に及んでいる。「量より質」「経済優先より生活優先」「ものづくりよりひとづくり」。よって「観光より地域」が先に来るのである。また、由布院のまちづくりを語る時、そこには欠かせない人物がいた。行政の強力なバックアップもあり由布院は自然環境を中心とした癒しのまちづくり。健康保養温泉地へと変貌を遂げた。

由布院には小規模な旅館やホテルが点在している。大きなことがよいという時代に、小規模であることを逆にスケールメリットとして捉え、色々な宿が重なりあうことによっていろいろな層を受け入れて個性ある「地域」を形成していった。「旅館ありきではなく、まず地域ありき」である。旅館の板前は直接農家から野菜を仕入れスローフードを早くから実践した。また、板前同士の交流も活発で、そこには由布院に長期滞在するお客様への思いがある。由布院のまちづくりは資金不足から全てが手作りで始まった。それ故、既成の質感に飽きた人々の心をしっかりと掴んだと言える。そのような由布院も現在、温泉地としては成熟期を迎え、次の一手を打つ時期が迫ってきている。

  • 由布院では日観連に加盟している宿が40年間欠かさず毎月1回会合を開いたり、現在でも2年に一度海外視察を行うなど常に人脈ネットワークを保ち続け、時代にふさわしいまちづくりのフットワークの基礎となっている
  • 辻馬車がお客様の意見を吸い上げて早期に解決するシステムとしても機能していたり、月に一度旅館経営者が他の旅館の料理を試食するなど、お客様の満足度を高めるための努力を行っている。
  • 狭い地域では互いに足を引っ張り合うことがあるが、やはり強力なリーダーの存在が欠かせない。それにも増して由布院では料理人の貸し借りや財務面の開示など、地域全体としてオープンな特質を作ってきた。それは全てにおいて小さいけれどもいいものを提供するという考え方に基づいている。
  • 現在の由布院には年間400万人の観光客が訪れ、100万人が宿泊しているが、年々観光客の数が増えるにつれ訪れる人々の層も多様になってきていることから、「良いもの」を提供するという観点から、観光客の総量規制も検討している。

由布院

  • 06
    <1>
  • 07
    <2>
  • 08
    <3>
  • <1>開発を極力避けた素朴な風景が人々の心を掴む:由布岳
  • <2>レンタサイクルを利用して自然散策を楽しむ観光客
  • <3>効率的に由布院のまちを散策できるレンタサイクル店が人気
  • 由布院では消費者が望む旅館を旅行会社が扱っていないことも多い。事実旅行会社が扱いにくい旅館も多く、消費者意識とのギャップの解消なども課題である。
  • 成熟期を迎えた由布院では「次の由布院」を目指して旅行会社と次世代のリーダー達との交流を活発に推し進め、共に地域と観光を発展させていきたいとの考えがある。

<現地視察>

由布院玉の湯
地元の素材を最大限活用した食事。箸も地元の竹細工製品で、一膳数百円。
経済効率性よりも、地域とのつながりを大切にする。
客室稼働率90%以上。女性のリピーターが多い。
前日夕食時に、朝食のメニューを個々にオーダー。
山荘無量塔
由布院の人気旅館のひとつ。
ライフスタイルの提案ができる宿、「こんな別荘に住みたい」と思う宿をめざして作った。
人の手を入れても、もとの自然以上の環境となるように配慮。
空想の森アルテジオ
音楽にまつわるさまざまな分野のアートを集めた美術館。館内には読書室やレストランもあり、ゆっくりとした雰囲気の中で、芸術と食を楽しむこともできる。

時間的な制約もあり、町の隅々まで視察することはできなかったが、視察した施設は、ことごとく由布院の自然やまちとの調和の中で、施設の個性を明確に打ち出している。

<旅行会社が対応可能なこと> サステイナブル・リゾート商品の開発

年間400万人の観光客を受け入れる由布院は、地域として受け入れられる人数の限界に達しており、これ以上マイカー利用の観光客が増えると、コミュニティーとしての機能が麻痺し、由布院の魅力が失われてしまうことが危惧されている。

旅行会社と由布院の観光関係者および行政が一体となって、由布院の魅力を維持しつつ多くの観光客に訪れていただけるような「サステイナブル・リゾート」のあり方を研究し、旅行のシステムとして具体化する。

今後、国内旅行を考えていく上で「サステイナブル・ツーリズム」の考え方を避けて通ることはできないが、由布院での「サステイナブル・リゾート」商品開発のノウハウは、国内の他地域に展開可能なものとして価値が高いと考えられる

【現地ヒアリング報告】 黒川温泉

実施日 2003年6月26日

地元参加者
後藤 哲也 氏 (新明館 代表取締役社長)

※役職はヒアリング当時

1. 田舎は、「いなからしい、おしゃれ」を提供すべき

田舎なら、「いなからしい、おしゃれ」を提供しなければならない。それは地域性ということだ。田舎で都会のような便利の良いおしゃれを提供してもそれは違う。例えば、床の間に豪華に花を生けるよりも台の上に一輪の花を差したほうがお客様は感動するし、その地域にあった方法でおしゃれを提供しなければ折角、街から来たお客さんも感動しない。これが「いなからしい、おしゃれ」というものだ。

2. 街の個性をつくる

個性ある街をつくるには、まず自分が一生懸命勉強することから始めなければならない。「この街をこうしたい」という強い気持ちがあれば有名な設計家が作った建造物がいかに、その街の個性や特性を無視したものかが分かってくる。全ての人に好かれるような街ではいけない。街の好き嫌いが出て初めて個性ある街といえるのである。
街の中、あるいは店の中に1つでもそぐわないもの、溶け込まないものがあると全体に違和感が出てしまう。看板ひとつとっても、その看板の前で写真を撮りたくなるくらい街に溶け込んでいなくてはならないし、逆に街に浴衣姿の人が歩くことで街全体の風景を作ってくれる。人が歩いていない温泉地など温泉地といえるのだろうか。18年前に黒川を改革しようとした時には周りから変人扱いされ大変苦労したが、現在では田舎を作り上げたことに逆に感謝されている。このような黒川も新しい建造物などが次々に出来始めており、田舎らしいおしゃれが失われていくのではないかと危惧している。また、そうならないために自らボランティアで積極的にアドバイスをすることにしている。

3. 日本の中に本当の日本を取り入れる

今の時代は、日本の中に本当の日本を取り入れることが重要であると思う。都会の人が田舎に来て何を求めているのか。そのような人たちの心を打つものを提供しなければならない。つまり、その地域に根ざした日本らしいものを取り入れなくてはいけない。長い伝統があるのであれば、その伝統が伝わる雰囲気のものに作らなくては意味が無いし、お客様の心に届かない。由布院に外国のお客さんが来なくなったのは、街に西洋を取り入れてしまったからである。彼らは日本独特の日本らしさを求めているのだから。結局はお客さんから「いいところに来た」という言葉を頂けるかどうかである。

黒川温泉

  • 09
    <1>
  • 10
    <2>
  • 11
    <3>
  • 12
    <4>
  • <1>温泉街全体が「田舎らしさ」を追求してつくられている
  • <2>各宿には嗜好を凝らした露天風呂を設けている
  • <3>黒川温泉では多くの草木が自然に見えるように、計算されている
    (自然を「つくる」苦労を話す後藤氏=写真中央=)
  • <4>温泉めぐりパンフレット。黒川温泉では他の宿の露天風呂に入力できる仕組みが整っている

4. 50年間女性のお尻を追いかけて、女性心理を勉強した

黒川のような山の中に、どうやってお客さんに来てもらうかを考えた時、やはり女性の心理をつかむことが重要と考えた。50年間女性の行動を観察して、女性心理を勉強し続けた。すでに30年前には軽井沢の街にすわって、女性を観察していた。やはり男性よりも女性の感性は鋭く、打てば敏感に響くので旅館のような商売は必ず女性が主役になる日が来ると思っていた。例えば自動販売機一つとっても、ホテルでは120円のジュースを200円で売っているが、これを 100円で売れば、お客様は「今時、100円とは安い」と感動してくれる。小さいことだが、女性はこれを次の女性に話してくれる。こんな小さな部分も考えていく時代ではないだろうか。

5. 黒川と東京ディズニーリゾートの共通点

東京ディズニーリゾートから重役を含めた視察団が来訪した際のことだが、彼らには驚いた。それは東京ディズニーリゾートが人間心理を徹底的に研究して日本人に一体何を提供するべきかを考えていたからである。そしてまた行きたくなるような方法を一生懸命考えている。つまり全体像を描きながら総合力で勝負しようとしている。これは黒川と共通する点である。黒川の景観は今日植えた木が明日には昔からそこにあったように見えるように作り上げている。本物志向のこの時代には剪定された木々よりも全てが溶け込むように作ったごくありふれた自然が好まれるのである。これは木の性質などを熟知して初めて可能となるもので、黒川では20年前から苦労しながら実践してきた。お金をかけた豪華なお風呂より、正にそこから湯が湧き出ているような雰囲気を演出した方が、お客様は感動する。すべては全体像を見て、総合力でお客様を感動させることに尽きる。

6. 旅行会社がすべきこと

航空運賃が下がったことや旅行会社の努力により、黒川のような交通不便の場所にも遠方からお客様が来て、小さな旅館を含めて助かっているのは実情であるが、大型バスで乗り付けて団体客が観光するような雰囲気にはしてはいけない。なぜならお客様はバスを見た瞬間に、二度と来たいと思わなくなるからである。新明館ではコミッションは10%しか支払っていない。そのために旅行会社からの送客はほとんどない。こちらも旅行会社に頼ろうとは思っていない。旅行会社の役割は温泉地においては他のところにあるのではないだろうか。例えば積極的にお客様を街に出歩かせることで、温泉地全体を活性化させるように仕掛けるなどが考えられる。

<現地視察>

新明館
黒川温泉のシンボル的存在の旅館。後藤氏手掘りの洞窟風呂で有名。
客室は、バス・トイレ無し。シンプルなつくりだが、置物や窓ガラスなどに細かい工夫がなされており、女性客のリピーターが多いとのこと。
宿泊客以上に、日帰りや他館宿泊客が、洞窟風呂に入浴に訪れる。
山河旅館
後藤氏が全面的に設計アドバイスをして建築した旅館。
中心部からは徒歩20分ほどの距離があるが、徒歩や車で訪れる入浴客が多い。
もともと単なる斜面だったところに樹木を植え、水を引きこみ、あたかも昔からあったように林の中のせせらぎが演出されている。
山みず木
中心部から離れた棚田に、樹木を植え、流れを作って、黒川の自然を演出した土地に建設された旅館。
宿に面した川岸に大規模な露天風呂をそなえ、多くの宿泊客や入浴客を楽しませている。

町内は道も狭く、大型車の通行は容易ではない。それゆえに町内の道は、浴衣がけの宿泊客や九州各地からの日帰り客が多く目に付く。街で見かけるのは、ほとんどが女性で、男性は女性と同伴のカップルまたは夫婦。男性グループは皆無に等しい。視察当日は、たまたま26日(風呂の日)で、立ち寄り入浴が無料であったが、普段でも「温泉手形(町内のお好みの三ヶ所の露天風呂に入れるパス)」を利用して、町内を歩く観光客が多い。 後藤氏の言うように、町内の樹木や建物は周囲によく調和している。山みず木にしても、その土地がかつて水田であったとは想像できない。

【現地ヒアリング報告】 加賀温泉郷

実施日 2003年7月30日

地元参加者
永井 俊二郎氏 (あらや滔々庵代表取締役会長)
萬谷 正幸 氏 (よろづや観光株式会社代表取締役社長)
吉田 久男 氏 (ホテル百万石代表取締役社長)
松平 安弘 氏 (ホテル雄山閣専務取締役)
穂積 淳一 氏 (松籟荘千味万彩代表取締役社長)
安念 義浩 氏 (山代温泉観光協会事務局長)

※役職はヒアリング当時

山代温泉
:山代温泉は開湯1300年余を超える歴史のある温泉地である。周囲は片山津や山中温泉に比べて自然環境・景勝地には、あまり恵まれていない。しかし、それ故に昔から接客接遇には定評がある。旅館は温泉街の中に小規模なものから大規模なものまでが点在している。
かつては魯山人が創作活動に励んだ地としても有名であり、現在でもまちの中には九谷焼の作家が多数居住しており、文化的にも重要な地域である。

これまでの山代温泉

山代温泉では、昭和50年代には既に男性を中心とした団体宴会客から女性個人客への市場変化を感じ取り、一部の旅館では女性風呂を男性風呂より充実させるなどの対策を取った。山代温泉全体が危機感を持って対応し始めたのは昭和58年頃からである。このとき大型旅館による囲い込みを見直すため「内から外へ」を対外的に打ち出して、温泉街としての街づくりに取り組むことになる。

再出発の時期

団体客を中心に受け入れてきた山代温泉も一般団体の減少と景気の低迷から、各旅館の経営は総じて厳しい状況である。中には改修費用が捻出できず、外壁などの汚れが目立つ施設もある。そのような状況の中、以前は施設や料理といった内側の財産を磨くことに苦心していた旅館も、現在では外の財産に目を向けて歴史や文化的な財産を磨こうという動きが出てきている。旅館においても各々の経営努力をしており、一部では新しい商品の開発や販売手法・チャネルの開発を実行している旅館もある。しかし一方では従来のやり方から脱却できずに今日、明日の売り上げが最大の課題であるという、待ったなしの状況にある旅館も存在する。
山代温泉では商店街や青年会、旅館などの次世代の人達がコミュニケーションを積極的に取り始めておりキャン・バスの運行など、これまでには見られないような街ぐるみの取り組みが始まっている。またNPOとの連携など、新しい動きが表れてきている。

山代温泉


  • <1>

  • <2>

  • <3>
  • <1>町内に空き缶回収施設を設置するなど、環境にも配慮した観光地づくりを目指している
  • <2>各観光地を循環するバスを独自に運行し、観光客の利便性を向上させている
  • <3>電線を地中化するなど、温泉街としての景観にも配慮した街づくりを進めている

仕入の問題点

旅行会社は「仕入」という言葉を使っているが、実際にはそれに対する経済的な債務を負っていない単なる預かり行為である。さらに、ブロックした部屋の消化率は山代温泉のある旅館でも11%足らずである。そしてブロックされた部屋の手仕舞い日は14〜10日前であり、その時点で大量に返室されるために、実際には販売機会のロスが生じている。そもそも旅行会社に部屋を提供しているのは、ある程度の販売ボリュームを期待してのことだが、その効果もないのに一律 20%を越える高い取扱手数料を徴収されるのは納得がいかない。一般的な商慣習ではありえないのではないか。サプライアーとしては例えば、2万円の商品を販売数によってはネットで1万8千円とか1万5千円で出しても良いと思っている。近年発達してきているネットエージェントであれば提供、返室などが自由であり一定の裁量権がサプライアーにある事を考えると、旅行会社の「仕入」の問題は避けて通れない問題である。

旅行会社の商品企画・販売の問題点

現在、旅行会社のカウンターで販売を担当している人たちにはデスティネーションに対する知識レベルが低く、積極的に顧客からの要望を引き出して、適切な商品を薦める力が不足しているのではないだろうか。さらに、企画・造成の担当者はもっと現地を知る努力をすべきである。総じて企画担当者のレベルが低い。商品企画の目線が低いと言ってもいいかもしれない。担当者が話すことはいつも価格のことばかりで、逆にこちらから提案しても受け入れる体制が整っていない。独自に提案しようとしても、一定数以上の客室提供が無ければ受け入れられないといわれて拒否される。何よりも提供した客室を責任を持って売って欲しいというのが本音。旅行会社は個々の旅館が持っている個性をあえて潰すような企画を作ることがある。例えば、あるプランでは全ての旅館に「カニの一杯付け」をさせたりする。どうして全ての旅館で同じような料理を提供させようとするのか?もっと企画・造成担当者が実際に現地を訪れることができるシステムにしたらどうか。いったい企画担当者たちは、どんなことに時間をとられているのだろうか。これだけ日本中に販売店舗網があるので、カウンターで販売している人たちの人材教育をするよりは、企画担当者に本当に魅力的な商品を企画してもらったほうが効率的かもしれない。また、実際に温泉地の街づくりをしている30〜40 代の人達と旅行会社の人達との交流の場がないのも事実である。

山代温泉・加賀地域

  • 16
    <1>
  • 17
    <2>
  • <1>竹の浦館。昭和初期の廃校を利用した体験施設。地域の交流の場としても利用されている。昔ながらの遊びや郷土料理などを実際に体験することができる。今後全国でもこのような古い建築物の有効活用が望まれる=加賀市=
  • <2>商店街などを街歩きしやすいように歩道整備し、通りに面した店舗を情緒ある建物に変えている。温泉街と“街づくり”の一体化の好例である=山中温泉=

現場は知っている

2001年10月に開設された加賀駅前の案内所では、本年(2003年)7月20日(連休中)には150名もの観光客が訪れている。訪れるのは30〜50 代の女性が多く、宿泊施設は決めているものの、その他の行動が決まっておらず、駅に着いてから決めるお客様が結構多いとのことである。プランを提案すると「それ、イイー!」と言って飛びつくそうである。つまり、このような場所には非常に重要なマーケティングデータが豊富にそろっていると言うことである。

当初、旅館の中でもこの案内所の存在を知らない施設もあったが、最近は良く立ち寄ったり、パンフレットを補充していく施設も徐々に増え始めた。お客様が何を求めて来るのかは、このような意外にも身近なところにその答えがあるのかもしれない。また、観光地の2次交通は大きな問題である。ここ山代温泉でも小松空港からのバスが少ないなどアクセスには問題が多い。

インターネットの利用

今後、インバウンドを進めていく上でもXMLにきちんと対応できる体制を整えておくことも必要ではないだろうか。現在進められているXMLへのアプローチの仕方は現在の旅行会社が生き残れるような仕組みから入っている。これではだめで、世界標準の視点で捉えて導入への道筋を付けていくべきである。この技術が確立することは、現在の旅行会社のビジネスモデルを根本的に変えざるを得ない状況が生まれると言うことになる。受け入れ側と旅行会社の新たな関係を模索する時期に来ているのではないだろうか。

<現地視察>

九谷焼窯跡展示館
魯山人寓居跡 いろは草庵
道番屋
町内の一般商店が、観光客に対する道案内の機能をもち、そのプログラムに参画している店舗には、「道番屋」の看板・ステッカーが掲示される。
「遊子五彩」
各商店が店内に小さな九谷焼コーナーを作り、そこに若手作家の作品等を展示している。各店それぞれに個性があり、参画店舗を巡るスタンプラリーも用意されている。
はづちを楽堂
源泉公園と足湯(工事中)
山代温泉の各観光施設は、最近整備されたものが多く、町内の舗道整備とあいまって、街歩き観光の魅力をつくりだしている。
山中温泉
町内の中心部に、町民と観光客のための共同浴場「菊の湯」と伝統芸能を上演する施設「山中座」を新設するとともに、観光客が無料で乗車できる町内循環バス「お散歩号」を運行することにより、宿泊客が町に出やすく、町内散策を楽しめるような街づくりを進めている。
大聖寺川上流には、いくつか廃業しトタン塀で囲まれた旅館がみられるが、町内はそのような雰囲気を感じさせない。

<旅行会社が対応可能なこと> 北大路魯山人と九谷焼をテーマに、伝統的な温泉地の再発見

山代温泉をはじめとする加賀温泉郷は、1990年代初頭まで、関西・中京方面からの団体客を中心に栄えてきた温泉地であるが、団体旅行の急激な落ち込みと個人旅行化の進展により、その後の入り込み客数は急速に減少した。多くの旅館が経営危機に直面している。

そうした状況の中で、山代温泉では団体宴会型温泉観光地から、女性の個人客が楽しめる観光地への転換を図るため、同地を拠点に活躍した北大路魯山人と、町内に多くの窯元と陶芸家を擁する九谷焼を主なテーマとして、観光施設やプログラムを整備しつつある。

首都圏発のテーマ型旅行商品開発の舞台として、受け入れ側の体制も整っている同地での商品開発は、「今後の市場ニーズを先取りした国内旅行商品の開発」の実践事例ともなりうるものである。

【現地ヒアリング報告】 阿寒湖温泉

実施日 2003年9月8日

地元参加者
中島 守一 氏 (阿寒町長)
吉本 俊久 氏 (阿寒町助役)
高田 満 氏 (阿寒観光協会会長・(株)ホテルエメラルド取締役顧問)
大西 雅之 氏 (阿寒観光協会副会長・阿寒グランドホテル鶴雅代表取締役社長)
加藤 幸臣 氏 (阿寒観光協会専務理事)
山浦 祥治 氏 (阿寒旅館組合会長・阿寒の森ホテル花ゆう香会長)
大平 一雅 氏 (阿寒町観光課長)
長井 清 氏 (阿寒土産品組合長)
西田 正男 氏 (アイヌ工芸協同組合長)
秋辺 日出男氏 (アイヌ工芸協同組合専務理事)
安井 幸紀 氏 (ネイチャーセンター社長)
小林 恵美子氏 (あかんマリモクラブ会長)
内藤 千佳子氏 (あかんマリモクラブ副会長)
荻生 恭子 氏 (あかんマリモクラブ事務局)

※役職はヒアリング当時

阿寒湖温泉
:阿寒湖温泉は北海道東部、釧路空港から車で約1時間の所にある阿寒湖畔に面した温泉街であり、大小合わせて28軒の宿泊施設がある。全国の温泉地が軒並み客足を低下させる中、“街づくり”をキーワードに住民参加型の活性化が行われている。特に地元の女性を中心に活動している、「あかんマリモクラブ」では住民が楽しめる“街づくり”を目指して積極的な活動を展開している。

阿寒町の観光に対する姿勢

阿寒町とその周辺地域にとって、今後成長が期待できる産業は観光産業しかないと認識しており、マラソンのように長いスパンで捉えなければならないと考えている。昭和48年までは冬場の観光客は少なかったのだが、航空会社とのタイアップなど地道なプロモーションによって知名度が向上して観光客数が増加してきた経緯がある。しかしこれからは、1400兆円という国民の金融資産とシニア層を、いかに上手く取り込んでいくかという部分に力点をおいて観光産業を活性化させていくつもりである。また、例えば観光客へのきめ細かな説明なども重要な要素の一つであると認識している。

現在、阿寒湖温泉で旅館組合に加盟している宿泊施設は25軒であり、1日約7000人の宿泊客を受け入れる能力がある。東北海道というカテゴリーで捉えることにより、冬場に東北海道各地で実施されていた冬のイベントを冬の三大祭りとして期間を合わせて長期間開催するなどの取り組みを実施して、広域観光化を目指してきた。それと同時に、まちづくり委員会を組織して快適な温泉街を目指して取り組みをしている。

阿寒湖温泉これまでの取り組み

広域観光の要として取り組んでいる東北海道周遊バスなど、バス網を整備することで広い北海道に点在している観光資源をつなげる作業を行っている。しかし、資金面からなかなか運行するのが難しく、今年度は半年間だけの運行とせざるを得ない。やはりこのような取り組みにも旅行会社は積極的に関わって欲しいと考えている。また、阿寒湖温泉では9割のお客様が1泊しかしていない。さらに宿泊客の6割は午後4時に到着して午前9時に出発するという慌しいスケジュールである。この結果温泉街での滞留時間が短く、阿寒湖温泉の魅力を感じないまま帰っている現状であることから、滞留時間を延ばす仕組み作りを模索している最中である。

近年、北海道への観光客のリピーター化が徐々に進んでいる中、阿寒湖温泉でも同様にリピーター率が上昇傾向にあり、既存の観光施設の入場者減につながっていることから既存の観光施設でも常に新しい変化を取り入れる努力が不可欠だと感じている。また、今回北海道観光連盟にアイヌ民俗との窓口が設置されることになった。アイヌ民族との交渉のラインが一本化されたことから、今後は積極的に旅行会社にもアイヌ文化を取り入れた商品開発を実施してもらいたいと思っている。

阿寒湖畔の環境改善

阿寒湖温泉活性化戦略会議がまとめた阿寒湖温泉再生プラン2010に従い、阿寒湖畔の環境改善に取り組んでいる。花いっぱい運動として初めて湖畔に花の広場を設置したり、小さな活動から徐々に進めている。今後、湖畔全体さらに温泉街を含めた範囲でマスタープランを作成して住民の合意の基に実行していく予定となっている。

足湯と手湯

阿寒湖温泉では現在、4箇所に足湯や手湯を設置している。これらはお客様に気軽に温泉気分を味わってもらい、情緒のある温泉街の風景を演出するために設置されている。足湯や手湯の設置には今後も力を入れていく予定であるが、法整備上の問題がこの活動に水を差している。足湯や手湯を作る場合に温泉利用に関する申請手数料35000円が必要となる。足湯の場合は温泉による温浴効果、療養効果が認められるが、手湯の場合も同様に手数料を負担することになるのである。このため厳しい財政事情の中、せっかく観光客に楽しんでもらうために設置しようとしている施設が作られないままになる事もあり、一層の規制緩和を望んでいる。

阿寒湖温泉


  • <1>

  • <2>

  • <3>
  • <1>周辺には手付かずの大自然が残り、最近では体験観光プログラムも充実している
  • <2>阿寒湖温泉では再生プランにそって、ハード、ソフトで具体的な変化が起きはじめている
  • <3>阿寒湖温泉再生プラン。10年先を見据えた再生プランを住民、事業者、行政が一丸となって推し進めている

まりも倶楽部

平成13年11月に地元の女性を中心にして設立されたのが「まりも倶楽部」である。現在部員数63名で活動している。主な活動は地元住民への情報提供などである。まず、なによりも地元住民が阿寒を楽しむ事が重要であるという発想のもと、地元ならではの情報マップの作製や地元の食材を使ったレシピの開発。また、毬里夢(マリム)というキャラクターをあしらったグッズなどを作製して、阿寒の自然を大切にする運動などを行っている。これらの活動は地元釧路新聞で毎週、記事として特集されており地元に根付いた活動を行っている。最近では「まりも家族手形」を作成して町内の観光施設と協力し、各店で特典が得られる工夫をするなど、様々なチャレンジをしている。さらに、町内の旅館・ホテルの温泉を積極的に利用して、その良さをお客様に説明するなど地道ではあるが実践的な活動を行っている。それらの活動の基になっているものが「まりも家族憲章」である。この憲章ではお客様を家族として温かく迎え入れることが記されている。
これらの地元住民を主体とした活動は、この種の地域おこしにはなくてはならない存在になりつつあり、今後大きなパワーとなることが期待されている。

アイヌコタン

温泉街にあるアイヌコタンは昭和32年に形作られた。現在は約100名がアイヌコタンで土産物などを販売する店で働いている。毎晩、アイヌコタンに作られた常設の舞台でアイヌの古式舞踊が披露される。今後は積極的にアイヌ文化の産業化をはかり、アイヌ文化を広く知らしめるという活動を展開するという。しかし、その基本にあるものはやはり「まりも家族憲章」であり、自然を信仰するアイヌ民族と融合する事で大きな観光資源に磨き上げられていく可能性がある。

湯めぐり

数年前に「ぐるっと湯めぐり」と銘打って、阿寒湖温泉の各旅館で湯めぐりの仕組みを作り、18箇所まわると宿泊券をプレゼントするなど工夫をしたが、利用者は低調であった。やはりこのような仕組みで大切なことは、リピートしてもらうことである。逆に言うとリピートしてもらうために湯めぐりなどの仕組みを作っていく必要がある。今後は、そのような観点から仕組み作りを進めていくことが重要になると考えている。

商店街

現在、阿寒湖温泉には3つの場所に分かれて商店街が形成されている。これらの商店の業績はバブル後軒並み30〜50%の落ち込みを記録しており、7〜8軒の空き店舗が出ている現状である。商店街にある店の多くは木彫りの店であるため、木彫り人気の衰退に伴って商店街も衰退しているようである。また、大型旅館による一館完結型消費により、宿泊客が温泉街に出歩くことが少なくなってしまったことも原因の一つと見ている。今後は店の独自色を出すような商品展開を行い、魅力的な商店街の形成を目指している。

財源確保

やはり“街づくり”には多くの資金を必要とする。しかし、地方交付税が大幅に削られている現在、新たな財源の確保が問題となっている。観光関係者の間では新税の創設もやむなしという考え方で総論は一致しており、環境に関する税金の創設により阿寒湖温泉街の活性化を図ることを検討している。

【現地ヒアリング報告】 登別温泉

実施日 2003年9月10日

地元参加者
岩井 重憲 氏 (登別温泉旅館組合副組合長・御やど清水屋社長)
奥村 智子 氏 (第一滝本館総支配人)
玉川 裕史 氏 (登別温泉商店会会長・玉川本店社長)
飯島 武 氏 (登別温泉飲食店組合組合長・味の大王店主)
小澤 隆信 氏 (登別観光協会事務局長)

※役職はヒアリング当時

登別温泉
:登別温泉までは札幌から特急で約1時間、さらに登別駅より車で15分のところにある。現在、大小合わせて約16軒の宿泊施設が立ち並ぶ日本でも有数の温泉地である。さらに登別温泉は源泉の種類が11種類あり、これだけ狭い地域に11種類もの温泉が湧き出ている場所は世界的にも極めて珍しいと言える。

登別温泉の強みと課題

バブル期に団体客を中心に伸ばしていた宿泊客数であったが、平成7年に135万人を切った。この年は円高や阪神大震災など外的要因も宿泊客の減少に拍車をかけた。大型旅館は稼働率50%を下回るようになり、道内でも唯一安定していた宿泊単価が一気に低価格へシフトすることになった。ここで、これまでの集客戦略を見直して日本の温泉地ではいち早く特定のマーケットに的を絞った重点的な集客戦略を打ち出した。一つは修学旅行の落ち込みをカバーするための対策。一つは東アジアからのインバウンドである。これらの目標を達成するために平成8年には「450・180大作戦」を打ち立てた。これは修学旅行とインバウンドにより年間入込み観光客数を450万人。宿泊客数を180万人にすることを意味している。インバウンドは香港、台湾、韓国、中国を中心に誘客を図り平成 14年で約74000人の誘致に成功している。(平成8年実績約7000人)。ただ、新千歳空港の設備が不十分なためにチェックインなどに多くの時間が必要となり、インバウンド客の観光の時間が有効に利用できなという弊害が発生してきている。修学旅行も平成8年当時は年間3万人だったものが、平成14年には約6万人に増加している(主に道外高校生)。このような取組みの結果、年間宿泊客数は平成14年で150万人まで回復している。今後は、このようなマーケティングの他、地域の観光資源の魅力を高める努力、さらに千歳空港からの自動車によるアクセスの改善を目指していくことが課題になっている。

総合力

現在の登別温泉があるのは、やはり総合力のお陰だと思っている。なんといっても11種類の泉質は他に類を見ないものであり、登別の大きな付加価値を生み出す原動力になっていると思っている。さらに、登別には近隣に大自然があり、これからの体験観光にも対応できる。修学旅行では例えば、宿泊は登別温泉。体験観光は白老などで実施するなど、地域との広域連携も十分視野に入れている。

登別温泉の変化

現在、登別温泉の宿泊客のうち道内客と道外客の比率は平成8年頃より1:1の割合となっている。どちらかと言うと道内客の方が若干多いと思われる。昭和40〜50年代にかけては圧倒的に道外観光客の数が多かったのに比較すると大きく構成比が変化している。

登別温泉の場合、大型の宿泊施設が多く、ほぼ寡占状態である。その結果、旅館一館で全てが賄われてしまう傾向が強い。ここ数年の取組みとして雑誌と組んで「歩く登別」に取り組んでいる。さらに旅館の施設の共通利用なども今後考えていかねばならないと思っている。また、登別の場合年間宿泊客数150万人のうち連泊客は1%程度であり、今後この点も改善していく必要があると考えている。しかし、どうしても大型旅館では旅行会社に頼らざるを得ない部分があるため、旅行会社との商品開発や素材の提供方法などを再検討しなければならないと考えている。

また、近年登別温泉では登別市民にも、もっと温泉を知ってもらうために市民への割引制度や無料招待なども実施しているが、このような取り組みは地域住民との関係作りの観点から、まちづくりには非常に重要だとも考えている

登別温泉


  • <1>

  • <3>
  • <1>地獄谷周辺には散策路が整備され、大自然を間近で体験することができる
  • <2>登別の代名詞とも言える地獄谷では今も豊富な温泉が湧出している。また、ボランティアガイドが周辺の自然などを丁寧に説明してくれる。今後は全国でもこのようなインタプリター制度の充実が望まれる。

飲食店と旅館の関係

登別温泉には飲食店があるが、その多くが飲み屋であり夕方に食事を取れるような店はほとんどないのが現状である。近頃、旅館の泊食分離が叫ばれているなかで旅館がそれを実施しようとしても、温泉街自体にそれを賄うだけの機能が備わっていないのが現状である。さらに、修学旅行生やインバウンドなどは飲食店の対象にはならず、旅館と飲食店の考え方のギャップがあるのが現状である。また、飲食店で食事がよく出る時間帯は主に深夜であり夜食型が多くなっている。

顧客情報の活用

現在、旅行会社から送客されるお客様に関しては名前と人数しか情報が提供されていない。そのために、お客様の大切な記念旅行などとは気付かずに通常の対応をしてしまうことも少なくない。一部の航空会社系商品の場合、お客様の年齢情報を付けてくれているので非常に助かっている。年齢情報を頂くだけで我々も色々考えてサービスすることが可能になる。例えば定年退職記念の夫婦旅行だとか、還暦のお祝いなど、ある程度予想して対応することが可能となって、お客様にサプライズを与えることができる。そして、そのお客様はリピーターになってくれる可能性が大きくなるので、本当に我々旅館にとっては大きなマーケティングデータとなる。大手旅行会社の商品においては、我々から提案してお客様の情報シートを作製してもらっている。旅行会社の販売店舗の限界は理解しているが、極力協力して欲しい。ひいては、この顧客戦略が旅行会社のリピーター化につながることも考えられるのではないか。一時、高級商品が好調であったが、このところ伸び悩んでいる。やはり基本的な顧客情報は我々にも流して欲しい。特に高齢者マーケットでは事前にどのくらいの情報を持っているかで、提供できるサービスの質に大きく影響してくる。

【添乗員ヒアリング報告<1>】株式会社ジャッツ

実施日 2003年10月20日

地元参加者
水戸 哲生 氏 (株式会社ジャッツ<日本旅行グループ>チーフ添乗員)

※役職はヒアリング当時

添乗員教育に関する現状と今後の方向性について

ご本人の添乗員経験:約25年(国内が約70%、海外が約30%)

JATAが作成中の国内旅行振興策提言の趣旨について説明後、添乗業務の現状、将来について語っていただいた。

添乗の楽しみ:多くの人に会えること
旅行が好きであること:お客と一緒に楽しむ観点が重要。それが過ぎると「お客と一緒に遊ぶ」状態になり、クレームに発展することがある。

お客様に楽しんでいただくために、通常の旅程管理にプラスα、プラスβをどのように個人情報として加えて行くかが課題。 このネタがお客様の求めるニーズに合致することが多い。 現在ではインターネットなどを通じて情報の収集をしているお客が増大しており、プラスαのネタは、すでに持ち合わせている。
個々の添乗員としてはプラスβの情報が欲しいがこれらは添乗員個人の情報収集力では限界があり、JATAとして対応を望む。

  • 例:北海道白鳥の飛来地 タンチョウの保護育成 まりも 高千穂峡など
    • ジャッツ内での研修では添乗の合間に1回6〜8名を集め、実施している。
    • 最近のテーマは、クレームの発生に伴う添乗中の事例をテーマにして実施することが多い。

課題

  • テーマ別の諸情報を集約する
  • 中堅指導者(30代半ば〜後半)の不足など

【添乗員ヒアリング報告<2>】近畿日本ツーリスト クラブツーリズム

実施日 2003年11月7日

地元参加者
福田 日出男 氏(近畿日本ツーリスト クラブツーリズム グループマネージャー)

※役職はヒアリング当時

フェロー・フレンドリースタッフ(FFS)について

7年前にスタートしたフェロー・フレンドリースタッフ(FFS)の教育担当として「2004年度FFSへの取組み方針」を作成し、これに取り組んでいる。FFSは現在全国に約660名(首都圏では550名)登録されており、年齢的には35〜60歳前後で構成されている。
FFSはクラブツーリズムのお客様としても旅行に参加している会員の中で、添乗をしてみたい方を募り、基礎研修修了後に添乗をお願いしている。
ツアー参加者と年齢が近いので旅行中のお客の話し相手となることも大きな役目となっている。
時間的・経済的にも余裕ある方の“第2の人生の生きがい作りの場を提供”することを目的としており、生活の糧を求める中高年用のシステムではない。
現在は殆どが国内添乗(バスツアー)。 現場での添乗業務は1ヶ月に3〜5回程度。

女性は52〜55歳が多い。
男性は60歳前後の方もいる。

2004年度FFSへの取組み方針について

  • <1>基礎研修について
    必修のカリキュラムで6ヶ月を1クールとしてまわし、旅程管理者としての基本を身につける。
  • <2>ステップアップ研修
    テーマごとの教育で必修ではないが、自身を磨くスキルアップのための補助講座
    楽習:楽しく学ぶために

キーワードはCHIE+Sの達成を目標として楽習(楽しく学ぶ)することをモットーとしている。これが実践できれば、お客様との関係もスムーズにいき、クレームを最小限に押さえる事が出来る。
C:COMMUNICATION
H:HOSPITALITY
I:INFORMATION
E:ENTERTAINMENT
S:SPEED

例えば翌日出発のバス旅行について道路の渋滞が予想される場合など、昼食時間の遅れの可能性を予め出発前日までにお客様に情報として伝え、スナックなどの持参をアドバイスしておけば、当日の道路事情による遅れに対してのクレームは最小限に収まる可能性が高い。手配そのものも当日の状況に応じて食事時間の短縮を図るために「お弁当」に切り替えたこともある。ベストな選択であったかどうかは別として、何らかの対策を事前に打てる。CHIE+Sを絶えず意識させたい。

  • <3>その他
  • ステップアップ研修では異業種のサービス業について学ぶために、特別講座として「女将さんと語ろう」というテーマを計画しているが、その講座から「おもてなしの心」を学び取らせたい。
  • 時として乗務員との関係作りがうまくいかず、ギスギスした関係をお客に悟られ、クレームに発展することがある。先のCHIE+Sのコンセプトを理解しておればクレームを軽減できるチャンスはあると考える。
  • 基礎研修にある「ノーガイドの演出方法」とは、バスガイドが乗らない場合の添乗員の車中でのお客に対するエンターテイメントなどを意味することがある。
    周りの風景に合った音楽を流す。
    あるいは音を消して、静寂を保つことなど。
  • 添乗員には観光地に関する専門知識については必ずしも必要ではないと考えている。
    専門知識を持ちあわせているに越した事はないし、勉強する姿勢はもちろん大切であるが、「知識優先」では円滑な人間関係を築きにくい。添乗員の基本的業務は“旅程管理”“安全管理”であることを忘れてはならない。
    その上で、お客様とのコミュニケーションをどう保つかなどのメンタル面を強化しなければならない。あるいは専門的な知識を必要とする場合、情報源の入手方法などについて知っておくことも重要であろう。
    添乗員の本来的な業務は決して観光地での専門知識優先ではない。
  • 添乗員とお客の世代が近いからといって「井戸端会議」が始まると、たちまちクレームの原因となることが多い。注意すべきところ。
  • 研修の一環として、テーマを決めて3分間スピーチを行い、これをテープにとって後で聞き、お客の立場で「聞き心地」が良かったかどうかの意見交換を行うという、厳しい(?)トレーニングも効果を上げている。

【添乗員ヒアリング報告<3>】株式会社福岡ドーム シーホークホテル&リゾート

実施日 2003年11月19日

地元参加者
安田 裕明 氏 (株式会社福岡ドーム 常務取締役 営業本部長)

※役職はヒアリング当時

ソフトとアイデアでハードを活かす

福岡シーホークホテル&リゾートは、ドーム球場と一体の都市型リゾートホテルというユニークな宿泊施設であり、従来の発想であれば施設内での「囲い込み戦略」を選択するところを、むしろ地域(百道浜、西新<福岡市<福岡県<九州)に対して開かれた商品を提供している。地域と連携することによって、シーホークを拠点に周辺の観光を楽しむ連泊プランを推奨するなど、国内のシティホテルとは一味違った旅行・観光スタイルを提案し続けている。

人事制度の刷新

98年以前のシーホークホテルでは多くの企業と同じように、東京の本社を常に意識した経営が行われていた。本社からの出向者も多く人件費の負担が大きくなっていた。また、当時は本社が規定した等級制による人事制度が実施されており、勤続年数が仕事の質や実力を凌駕する状態であった。そのような状況はホテルの中に閉塞感を生み、従業員のモチベーションが高まることはなかった。
ところが、高塚氏が社長として迎え入れられてから大きな変化が起こったのである。シーホークホテルを蘇らせた最大の変化と言っていいだろう。それがいわゆる人事制度の刷新である。等級制度の廃止、全従業員の順位評価等々、ユニークかつ大胆な改革を実施した。特に従業員の順位評価は絶えず他の従業員を「見る」ことが必要となり、コミュニケーションや協力意識の醸成に大きな役割を果たしたといえる。

部門別会計の弊害

98年以前のシーホークホテルでは宿泊、料飲、ドーム球場などが各々部門別会計の体制をとっていた。これにより各部門の組織の論理が優先された結果、部門間の融通はきかず、遊休施設の効率的な利用や利益の最大化とは逆のベクトルへと向かっていた。料飲部門では当時22箇所の直営飲食施設を保有しており、そのどれもが館内の飲食施設との価格競争を余儀なくされていた。その結果、料飲部門の客単価は低下を続け利益は減少していった。このような部門別会計の弊害がいたる所で発生し、ホテル内部は硬直化していた。

利益を出せるホテルが良いホテル

部門別会計の弊害を克服するために高塚社長は、まず当時シーホークホテルが抱えていた正確な経常赤字額を算出した。その上でホテルの各部門においてその利益率を把握した。
その結果、最も利益率の高い事業として浮かび上がってきたのが「婚礼事業」であった。開業当時こそ、年間1000件の成約件数を誇っていた婚礼事業であるが高塚社長が来た98年当時には800件前後まで落ち込んでいた。婚礼をホテル事業の中核に据えたことで、宿泊部門、料飲部門、ドーム事業は各々の事業を犠牲にすることを強いられた。つまり、婚礼の成約を増やすために宿泊部門では空いている客室の積極活用や料飲部門ではそれまでの飲食施設を婚礼の控え室にしたり、営業のために料理を提供するなど「異日常」の演出を行って「婚礼事業」を伸ばすために様々な部門が協調体制をとった。これも部門別会計が廃止されてはじめて可能になった事である。ドーム事業も例外ではなく、全従業員700人の全員営業の名のもと、料飲の人達までもが野球チケットを武器に婚礼をとりはじめたのである。このような努力によりシーホークホテルの財務内容は劇的な改善を見ることになった。なによりも働く従業員の「顔」が変わったことが大きな価値であり、利益を出せるホテルがよいホテルになり得る事を実証している。

正しい事を捨てる勇気

このような劇的な変革を遂げたシーホークホテルであるが、それまでシーホークホテルが行ってきた事は実は間違ってはいなかった。しかし正しいことが良いホテルを作るとは限らないということが、部門別会計の例からも分かる。会計上は部門別に会計を実施することで帳簿では明確な数字を記載することができ、正しい行為となる。しかし、ホテルを利用する顧客にとっては帳簿の数字は関係のない話であり、一見正しい行為は顧客への融通性を奪い、営業の幅を自ら狭める結果となっていたのである。
つまり、時に正しい事を捨てる勇気が必要になるということである。このような考え方はシーホークホテルの末端まで浸透しており、地元の住民を中心にした営業活動に現れている。宿泊部門の予算目標は金額ではなく人数となっており、地元客を中心に実に福岡に滞在する人の3分の1がシーホークホテルに宿泊している計算になる。
ここで、最も重要な点は多くのホテルで常識となっている囲い込み、館内消費優先の概念を廃し、スタッフが積極的に外部の店舗を紹介するなど独自の取組みを実施することで、リピーターを増やし、将来の利益へつなぐ営業展開を実施している。

旅行会社との関係

以上のような取組みをしているシーホークホテルは、当然のことながら直予約比率が高い。これもシーホークホテルの高い人気、それ以上の従業員個人の営業努力が実った結果であろう。一方で旅行会社の予約比率は約26%である。ここでもシーホークホテルの考え方は他のホテルとは異なる。通常、宿泊事業者は単に旅行会社へ送客を強く働きかけるなどの方法を取ることが多いが、シーホークホテルでは逆に旅行会社に何をしてあげられるのかという観点から旅行会社と接することで、新たな可能性を見出そうとしている。


このページの先頭へ戻る