自然にやさしい旅 エコツアー 熊野古道の現地視察、語り部によるエコツアー体験報告
(2004年11月15日)

更新日:2023年11月09日


2004年11月15日

このツアーの目的

JATA社会貢献委員会の環境対策部会(糟谷部会長)では、次の目的で熊野古道の現地視察、エコツアー体験のための旅行を企画・実施しました。

 •  語り部による「エコツアー」を実体験する。
 •  世界遺産地での環境と観光の両立について考える。

          
熊野古道=参詣道               那智の滝:滝そのものが御神体

スケジュール

1. 実施日 : 平成16年10月23日(土)~25日(月)


2. 行程
1日目 : 羽田空港発 ⇒ 南紀白浜空港 ⇒ 熊野古道中辺路発心門 ⇒熊野本宮大社 ⇒ 湯の峰温泉(泊)
2日目 : 本宮町請川 ⇒ 熊野古道小雲取越え歩行 ⇒ 熊野川町小口 ⇒那智大門坂 ⇒ 那智山青岸渡寺宿坊・尊勝院(泊)
3日目 : 尊勝院 ⇒ 那智の滝 ⇒ 神倉神社 ⇒ 紀和町丸山千枚田 ⇒ 松本峠大泊登り口 ⇒ 伊勢路松本峠歩行 
                 ⇒ 紀南ツアーデザインセンター ⇒ 花の窟神社 ⇒ 熊野速玉大社 ⇒ 南紀白浜空港 ⇒ 羽田空港


3. 参加者
糟谷部会長はじめ環境対策部会を中心に10名


4. 協力
三重・紀南振興プロデューサー 橋川 史宏氏
語り部 苅谷 健生氏
車道での誘導、荷物の搬送 栗須 修三氏

熊野古道とは

熊野本宮大社
熊野那智大社
熊野那智大社
熊野本宮大社旧社地にある大鳥居
神倉山

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社(熊野三山)への参詣道のことをいいます。昔は「蟻の熊野詣」といわれるほど、上皇・貴族から庶民にいたるまで、多くの人々が参詣しました。

主要な熊野古道は次の通りです。
  ▸  三重県伊勢神宮からの伊勢路
  ▸  奈良県吉野からの大峯道
  ▸  和歌山県高野山からの小辺路
  ▸  和歌山と田辺をむすぶ紀伊路
  ▸  田辺と本宮をむすぶ中辺路
  ▸  田辺と新宮をむすぶ大辺路
  ▸  本宮と那智をむすぶ小雲取越、大雲取越

  ▸  本宮
        熊野本宮大社。
        明治22年の大水害で大斎原から現在の地に遷された。

  ▸  新宮
        熊野速玉大社。
        元宮といわれる神倉山に祀られていた神を現在の地、新宮に移したことによる。

伊勢路だけでも延べ約50時間、大峯道は山の行程だけでも1週間以上、小辺路が4~5日必要といわれており、1度や2度の旅行で回れるところではありません。また、大峯道、小辺路、大雲取越などは難所といわれているところが多々あり、素人だけで歩けるところでもありません。

今回我々は、中辺路の一部、小雲取越、伊勢路の一部を歩かせていただきました。語り部の苅谷氏のお話をもとに辿って参ります。







中辺路

発心門王子にある藤原定家※歌の碑
地元の人が作った歓迎人形
縁側(さりげない歓迎が嬉しい)
水呑王子

まず、熊野古道に多々ある「王子」についての理解が必要です。
古代から中世にかけて、多くの人々が熊野に参詣しましたが、その道中に熊野権現の御子神を祭り、熊野九十九王子と呼ばれました。九十九とは実際の数ではなく、多いことを強調した表現です。
中辺路は、熊野霊域への入り口とされる滝尻王子から熊野本宮大社までの全長約40キロの古道です。中辺路にある滝尻王子と発心門王子は、数ある王子社のなかでも地位の高い五体王子のひとつになっています。

今回は、発心門王子から熊野本宮大社までの約7キロの古道を歩きました。途中、さりげなく歓迎の気持ちを示してくれる住民に感謝しながら、もと小学校分校の敷地の一角にある水呑王子に辿りつきます。さらに、平安時代の女流歌人和泉式部※の供養塔といわれる笠塔婆があり、本宮旧社地の森を遠くに見ながら伏し拝んだといわれる伏拝王子、熊野本宮大社近くの裏手にあり、旅の穢れを払い清める祓戸王子を通り熊野本宮大社へ参拝しました。

※ 藤原定家は鎌倉時代に後鳥羽上皇の熊野御行にお供しました。

発心門王子で碑にあるように霊域にはいる気持ちを歌い、初めて熊野本宮大社に拝した感動を「山川千里を過ぎて、遂に宝前に奉拝す、感涙禁じがたし」と記しています。

今回は、熊野本宮大社参拝の後は、バスで湯の峰温泉へ向かいましたが、その日のスケジュールにあわせて、大社から徒歩で湯の峰温泉へいく3.4キロ、約 70分を要する「大日越」という古道もあります。祈りつつ、額に汗して歩いた後の至上の憩い。参詣者の、ひとときの安堵の笑顔が見える名湯でした。



小雲取越

百間ぐらの眺望とお地蔵様
備長炭の原料“ウバメガシ”
右手には広葉樹が拡がる

圧倒的に杉や檜の人工林が多い中で、熊野那智大社をめざす、請川から小口までの全長約13キロの小雲取越参詣道の途中には広葉樹を主体とする天然林が残っており、里山を彷彿とさせる懐かしさ、親しみやすさを感じさせてくれます。
請川から少し歩くと熊野川の雄大な流れを一望できる場所、さらに歩くと、果てしもない山脈を眺望できる「百間ぐら」に辿りつきます。参詣のいにしえ人が艱難辛苦の旅の途中でひと息つき、さりげなく小石でつまれて座す地蔵様に、感謝と祈りの気持ちを伝えている姿を容易に想像できます。

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旅人の道中無事を見守り続ける   いにしえ人の参詣の労苦はいかばかりだったか   一歩進めば、一歩熊野へ近づく

季節により古道周辺に咲く花々に迎えてもらえます。
今回は“アサマリンドウ”が咲き誇っていました。

伊勢路   松本峠

三重県紀和町の丸山千枚田
上手に通り峠の古道がある

鉄砲傷のあるお地蔵様

伊勢神社への参拝を終えた人々や、西国三十三ヶ所巡りの巡礼者が辿った熊野三山への参詣道・伊勢路。今回は、七里御浜の眺めが素晴らしい松本峠への古道を歩きました。歩く時間も短いことから、三重・紀南振興プロデューサー橋川史宏氏の協力で、地元の人につくっていただいたわらじに履き替えて、さらに杖をもって歩きました。履いた経験がない方がほとんどでしたが、靴下を履いたうえで装着すると思ったより歩きやすく、苔むした敷石の奥から、いにしえ人の息吹が聞こえるような不思議な感覚がありました。

一歩、一歩、その感覚を確認しながら登ると、鉄砲で撃たれたと伝わる長身のお地蔵さまに出会います。手をあわせ祈り、道を左側にとると休憩所。そこからの七里御浜の景色は息をのむほどです。

伊勢路の石畳の敷石は時代によって特徴があります。時代が新しくなると隙間がないようにきっちりつめられています。歩きながら、石畳がいつの時代に作られたのか考えるのも楽しいと思います。

松本峠の他、伊勢路には、江戸時代に多くの信者により西国三十三ヶ所の石仏が寄進され、道中あちこちにたつ「観音道」等もあります。癒しの時代、是非歩いてみたい古道です。

紀南ツアーデザインセンター

雄大な自然に育まれた紀南地域の魅力を紹介、案内してくれます。お伊勢様の内宮前にある「おかげ横丁」のたたずまいに似た約120年前につくられた建物は、古道にこられた方をはじめ、どなたでも自由に入ることができます。歩いて疲れた体を癒すために座敷も開放し、ビデオやDVDで熊野古道や紀南地域について学ぶこともできます。

開館時間    9:00-17:00
定休日    なし (年末年始を除く)
所在地    〒519-4323 三重県熊野市木本町517-1
電 話    0597-85-2001
FAX     0597-89-3210
Eメール    kinan-tdc@nifty.com

三重県紀南地域のプロデューサーの橋川氏は、地域資源の活用を促進する拠点として、紀南ツアーデザインセンターを企画し、平成16年6月にオープンさせました。現在は地域プロデュース業務のかたわら、同センター長として運営を担当しています。

世界遺産地での環境と観光の両立について

熊野古道は、熊野三山への参詣道で、全国から現世や死後の御利益を熊野三山の神々にお願いするために、足に血をにじませながら詣でた道です。世界遺産に指定されたことで、徐々に旅行者は増えているとは思いますが、我々が歩いた中辺路、小雲取越、松本峠は混雑している様子はありませんでした。古道の整備状況もよく、ゴミも落ちていません。地域の人々も歓迎の気持ちを示してくれています。
しかし、今後どうなるかは未知数です。送る側、受ける側双方で、環境を護りながら、地域の活性化にもつながるツーリズムを考える必要があります。神社や観光地だけを巡る点から、古道を中心とした線の観光へ、また、物見遊山ではない“特別な地”という意識で接して欲しいと思います。

熊野古道への理解を深めるために

語り部の方々の“知”を引き出すためには、それなりの努力が必要です。可能な限り集団で歩くようにすれば、語り部がポイントですぐに解説に移ることができます。その解説を理解するためには事前に学ぶことも大切です。

また、熊野本宮大社参拝のときは、旧社地にも行く、熊野速玉大社参拝のときは神倉神社も訪れるなど、つながりのある巡りをすれば、熊野の自然や歴史もより深く学ぶことができると思います。

さらに、熊野の自然を護った博物学者・南方熊楠。昭和天皇が「雨にけぶる神島を見て紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ」と歌っていますが、熊野古道を深く知るためには“南方熊楠”は欠かせません。

本件に関する問い合わせ
(社)日本旅行業協会 TEL 03-3592-1274